日日の言葉

   ギリシア人が言葉に就ては、常に肉声の言葉を重んじてゐた
  ことは、ワイルドも言つてゐる。それが散文でも、プラトンは
  対話の形で書いてゐて、確かにギリシアの古典時代の散文は耳
  に聞える。そしてそのことまでギリシアの古典文学の特色と考へ
  てはならないので、言葉を全面的に生かして使ふならば、音
  の要素も当然その働きのうちに含まれることになり、ギリシヤ
  に限らず、名文は我々の耳にも響いて記憶に残る。事実、散文
  は初めは雄弁の形で発達したのかも知れなくて、散文が語られ
  る代りに書きとられることになつたのは、もとは雄弁術の手本
  に使ふ為だつたといふことが考へられる。例へば、デモステネ 
  スはトゥキュディデスの名文に打たれて、その歴史の全文を八
  度も自分で写し、殆どこれを暗記するに至つた。併しトゥキュ
  ディデス自身が言つてゐる通り、彼は一時的な雄弁の効果を収
  めるのでなしに、永遠の宝を残すのが目的でその歴史を書いた
  のである。
        吉田健一『吉田健一集成2 文学概論』 (新潮社)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

    冬は日が落ちるのが早い
 
  暗いところから見る、明るい場所が好きだ。
  喫茶店が流れていく車輌を無視して、
  大きな窓から橙の光をこぼしていた。
  体の奥にああした部品があるなら、
  もうすこし体をいたわって生きることもできる、
  と、思いながら暗い道ばかりを選び、
  走ったって、遠のいても近づいてもこない月を見上げている。
 
  何もかもが変わろうとしている、
  お腹が空きすぎると体の中に空気がめぐって、
  空模様といつも以上にリンクする、
  今は夜で、流星群がぱきぱきと流れて、春らしい感覚、
  何もかもが変わるようなそんな感覚に満たされている。
  今、何か食べたらものすごく美味しいぞ。
 
       最果タヒ『愛の縫い目はここ』(リトルモア)
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

 
           童謡         夏目漱石
 
  源兵衛が        練馬村から
  大根を          馬の背につけ
  お歳暮に        持て来てくれた
 
  源兵衛が        手拭でもて
  股引の          埃をはたき
  台どこに         腰をおろしてる
 
  源兵衛が        烟草をふかす
  遠慮なく         臭いのをふかす
  すぱすぱと       平気でふかす
 
  源兵衛に        どうだと聞いたら
  さうでがす       相変わらずで
  こん年も        寒いと言った
 
  源兵衛が       烟草のむまに
  源兵衛の       馬が垣根の
  白と赤の        山茶花を食つた
 
  源兵衛の       烟草あ臭いが
  源兵衛は       好きなぢぢいだ
  源兵衛の       馬は悪馬だ
 
           明治三十八年一月一日「ホトトギス」
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

     雪と傾き           服部真理子
 
 
  少年に生まれて僕は音たてて傾くような星座に臨む
 
  雪の昼ボタン電池の輝きを嵌めっぱなしで眠る湖
 
  河沿いの糸杉はみな目を閉じて並べり夜の河をおそれて
 
  さよならと微笑むような力学が梅に及んで梅がひらくよ
 
  生まれては死に急ぐ雪よるのゆき神様よりもしずかに踊れ
 
       うた新聞(平成30年1月10日)
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

 私は、短歌、俳句の言葉は日本語の中でもとくに格調の正しい、
磨かれた言葉であると思っている。的確に物を捉え、思いをのべ
るのに情操のかぎりをつくし、正確に、真実に、核心を衝く言葉を
選ぶのが短歌であり、俳句である。
 そういう言葉の修練を積んだ人が、また積もうとして努力しそこに
楽しみを見いだしている人が、何万という数を越えて存在しているので
ある。彼らは文学者を自称しない。商店主であり、運転手であり、教師
であり、主婦であるそういう普通の生活者が、短歌、俳句において驚く
べきすぐれた言葉の使い手なのである。
 この底荷あるかぎり、私は軽薄の二字を染め抜いた帆を張る日本の
言葉の船の航海について、悲観しない。
 
      上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

 
   少しでも触れたら、
   「愛して」って声が漏れだしてしまうような人はいて、
   そういう人が本当にこわい。
   ぼくは風じゃないし、きみは、カーテンじゃない。
   夏が終わり、来るのは秋ではない。
 
   やさしいひとが、
   間違って人を傷つけてしまったその瞬間を見ると安心する。
   たてがみがゆれてこそばくて仕方がなくて、
   走るのをやめられない馬みたいに、
   ぼくもただ美しく、走り抜けていたかった。
 
    ピンホールカメラの詩
 
    最果タヒ『愛の縫い目はここ』(リトルモア)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

     それぞれの20首    永井 祐
  ショッピングモールは夕方になっていて焼いた魚とご飯を食べる
  喫煙は深呼吸であり僕向けのドラッグ 休みの日に外で吸う
  優先席に座ったことの言い訳がゆっくり届く 話してるとき
  月曜の1時桜がさいている ビニール袋の持ち手のところ
  大事そうにアイスをつつく 一晩で字幕はたくさん流れていった
  県境またいで仕事していると背の低い駅・背の高い駅
  ドアノブを見上げて眠っていたころにありがとう、と君に思った
  図書館の地下一階に降りていきそこから人にメールを送る
  五月になって昼には二杯水を飲む 夜になると固いTシャツを着る
  友達の生まれた日づけを祝おうとわたしはもやしをたくさん食べる
  蚊帳のなかで寝苦しそうなお母さん 窓よごれてる ベランダきれい
  アイスサンドというアイデアの出所を不思議に思う人思わない人
  電車の中で眠るといつも夢をみる 二分くらいの充実した夢
  8月の午後5時の青さの中でclosedの看板さがってる
  去り方が家族が入院してる人みたいだなって思った昨日
  この曲を聴きながらときどき頭をかいたりしながら道路沿いに歩いてみてほしい
  どんなことでも一通りできるようになってから貯金をはじめたい
  コーヒーの匂いがしてるゴミ箱におりたたんで領収書を捨てる
  馬に乗るようなかたちで寝ているね こまかい草を思い浮かべる
  坂に置かれたオレンジのピンポン玉として残りの八月をくだってく
        「短歌研究 2017/10月号」
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

      素焼きの皿       野田かおり
 
  ポケットの鍵さぐりつつ進みゆく南校舎に雲を見上げて
 
  誰かまだ居るかもしれず教室の闇をしばらく眺めてをりぬ
 
  木綿豆腐をみづに離せばいきもののやうに沈めり寒き夕べに
 
  抜き取りて匙はさびしきかたちなり崩れぬものが塩壺にあり
 
  あやふやな歩みの父を待ちをれば曲がり角には秋桜あふれ
 
  家族とはもの喰ふひとの集まりと素焼きの皿にのせる秋刀魚を
 
  秋の陽ざしをみづは流れてゆつくりと湯よりあがりし母のふくらはぎ
 
  指先がむらさきしきぶの実に触れてゆびの先から記憶となりぬ
 
  夜の瞼を預けてみむとあたためて飲む牛乳のあかるさのなか
 
  遠くから祭りの音が寄りてきてやがて男のこゑへと変はる
 
               「短歌往来 2017/12」
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

     玄人と素人
 
 文章を作ることをもって特に玄人の手に限るとした時代は既に過ぎたが、今でも
やはり玄人と素人の別はある。いうまでもなく、多くの修業を積んだ人は玄人で、
特別の修業をせぬ人は素人である。しかし私は断言する。玄人が必ずしも名文を書
くわけではなく、素人に必ずしも名文が書けぬわけではない。
 玄人はもちろん整頓した文章を書く。また多量の文章を比較的容易に書く。その点
は素人の及び難きところである。しかし玄人の文章にはとかくうそがある、ごまかし
がある、こしらえごとがある。一応立派に出来ているようでも、熟読してよくよ
く嚙みしめてみると、何の味もないという場合が随分多い。嫌な味の出てくる場合
も随分多い。要するに玄人の文章は、月並み、お座なり、間に合せになりやすいも
のである。殊に悪ずれのした玄人と、きざな半玄人とに至っては、誠にもって沙汰
の限りである。
 そこで素人の作文者はまず決して玄人に怖じてはならぬ。玄人はこの道の修業を
積んでいるには相違ないが、実は文章の商売人である。職業的作文者である。そし
て、大抵は多年の間、同じようなことを繰り返して、誠実の心も無くなり、真率の
気も消え失せて、立派に堕落している人たちである。
 もっとも、玄人のうちで、文章の商売人でなく、職業的作文者でない、少数の人
人がある。その人々は多年の修業を積むと同時に、常に誠実を養い、真率を保ち、
心の底、胸の奥から、言わんと欲するところを言い、言わざるべからざるところを
言っているのである。故にその人々の文章だけは、必ず我々の胸に響き、腹にこた
えるが、月並みの玄人の文章には決してそんな力がない。月並みの玄人の整頓した
文章よりも、正直な素人の疵の多い文章の方が、はるかに味もあり、力もあり、光
もある。
 故に私は切に素人の作文者の自重を望む。一般玄人に怖じてはいけない。素人た
るが故にへこんではいけない。素人でたくさんである。否、素人が貴いのである。
私のこの本はもとより玄人に見せるためではない。また月並み玄人の志願者に見せる
ためでもない。私はただ素人作文者たることを誇りとする人々のために、多少修業
の心得を説くだけのことである。
 
          堺 利彦『文章速達法』(講談社学術文庫)
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日日の言葉

         美しい断崖
 「どこにいても美しい断崖は見える」
 フランスの哲学者は
 そのプロポで語っているが
 ぼくには
 断崖そのものも見えない
 水平線や地平線
 
 ネパールの草原で月は東に陽は西に
 その平安にみちた光景には
 心を奪われたくせに
 「美しい断崖」にはなってくれない
 きっとぼくの眼は
 肉眼になっていないのだ
 ただ視力だけで七十年以上も地上を歩いてきたのにちがいない
 まず熱性の秘密を探ること
 腐敗性物質という肉体のおだやかな解体を知ること
 
 愛が生れるのはその瞬間である
 視力だけで生きる者には愛を経験することはできない
 生物は「物」である
 生物の本能もまた「物」である
 だが
 視力が肉眼と化したとき
 物は心に生れ変る たとえ
 地の果てまで旅したとしても
 視力だけでは「物」しか見えない
 
 肉眼によって
 物と心が核融合する一瞬
 一千万 百億の生物が瞬時に消滅したとしても
 この世には消えないものがある
 
     田村隆一『1999』(集英社)
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«日日の言葉