山猫図書館

    春中与慮四周諒華陽観同居    白居易
うまれつきものぐさ同士気があつたみやこはづれの華陽観にて
門前のものさびしくてなほのこと親しみあへり風のまにまに
ともしびをぐいとそむけてあひみての今は臥し待つ真夜中の月
花かげをかたみにふめば相惜しむ逢瀬にもにてわかものの春
あんず咲く鄙(ひな)の住まひは平穏でヴァカンス気分もてあましたり
ペンをもて世渡る身とはなるなかれこの貧しさはどうにもならぬ
君はかくも痩せ果ててゐる うるはしきうつはに水はあふれやまねど
ひむかしの風に吹かれて思ふなり天はいかなる材を待つらむ
                            小津夜景訳
     小津夜景『カモメの日の読書』(東京四季出版)
 

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   小さな家を人里にかまえながら
   わずらわしいつきあいとはまるで縁がない
   なぜそう上手くゆくのかと君はきくけれど
   心が世間から遠く離れてさえいれば
   町にいたって秘境に隠れているようなものなんだ
   東の垣根で菊を摘んでいると
   はるかかなたの南山がふと目に入る
   山のおもむきは夕日にひときわ美しく映え
   鳥たちは連れ立ってねぐらへと還ってゆく
   こうした風景の中にこそ
   人生のほんとうの意味がある
   ただそれを言いあらわそうにも
   とうの昔に言葉を忘れてしまった
     陶淵明「酒を飲む二十首 その五」
       (小津夜景『カモメの日の読書』東京四季出版)
 

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 最初の頃は、リヴベルに着いたときでも太陽は沈んだばかりで
まだ明るかった。明かりがまだ灯されていないレストランの庭では
、昼間の暑さが衰え、まるでそこが花瓶の底ででもあるかのように
沈澱していたが、その花瓶の内側に沿って透明で暗い大気の層が
ゼリー状になってしっかりとまとわりついているかのごとく感じられた
せいか、すでに翳った塀に寄り沿ってそこに薔薇色の縞模様を浮き
上がらせている一本の大きな薔薇の木は、縞瑪瑙の底に見える樹
枝模様を連想させた。それからいくらも経ないうちに、私たちが馬車
から降りるときにはもう夜になっていたし、天気が悪ければ風雨が
弱まるのを待って馬車の支度を遅らせたりしたので、バルベックを
発つときにはすでに日が沈んでいることもしばしばだった。
 プルースト『失われた時を求めて「第二篇・花咲く乙女たちのかげに」』
 (高遠弘美訳・光文社古典新訳文庫)
 

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  粒立ちガラスのドア・パネルには、「フィリップ・マーロウ探偵調査」と
黒い字で書かれている。字は剥げかけている。そこそこうらぶれた廊下の
突き当たりの、そこそこうらぶれたドア。総タイル張りの洗面所が文明の
基盤とされるようになった時代には、その建物もぴかぴかの新築だったの
だろうが。ドアは施錠されている。しかしそのひとつ隣りの、同じ名前が
掲げられたドアには鍵がかかっていない。誰でもご自由にお入り下さい
ー私と肥ったアオバエしかここにはおりませんが、というわけだ。ただし、
カンザス州マンハッタンからお越しの方はその限りにあらず。
   レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『リトル・シスター』(早川書房)
 

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   ひとが しんだと きいて
      とおくの ともに
 
 きのう きいた ヨウさん しんだ
 けさも きく オツくん しんだ
 しりあいの さんにんの うち
 ふたりまで あのよへ いった
 
 ゆく ひとは にどと あえない
 かなしいな とわに おしまい
 のこる ひと いま どこに いる
 みな とおく ばんりの かなた
 
 きごころの しれた ともだち
 ゆびを おり かぞえてみれば
 ツウしゅうと カしゅうと レイしゅう
 ホウしゅうと わずかに よにん
 
 おたがいに としばかり とり
 ひとのよは ゆく みずの ごと
 つぎつぎに ふるい なかまを
 うしなって ためいきを つく
 
 いつの ひか さかずきを あげ
 にっこりと みつめあうのは
 
     武部利男『白楽天詩集』(六興出版)
 
 

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  コウロホウの てっぺんに のぼる
はるかなる コウロの みねを
あこがれて ゆめに みながら
いちねんじゅう しごとに おわれ
きょうに なり やっと でかける
 
つたを よじ いわを ふみわけ
ても あしも くたくたに なる
さん よにん いっしょだったが
うち ふたり うえまで ゆけず
 
てっぺんに ついた ときには
めは くらみ むねは どきどき
その たかさ いちまんひろで
その ひろさ すうじょうも ない
とおくまで みきわめないと
わかるまい うちゅうの ひろさ
おおかわも なわより ほそく
ボンの まち てのひらの うえ
 
あくせくと はたらく わたし
たちきれぬ うきよの きずな
かえろうと ためいき ついて
すごすごと くぐる ありづか
 
          武部利男『白樂天詩集』(六興出版)
 
 

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       しらさぎ         
  このよに うまれて よんじゅうねん
  まだ おとろえる としじゃない
  わたしは なやみが おおいので
  めっきり しらがが ふえてきた
  どういうわけか みずぎわの
  つがいの しろい さぎたちは
  なやみも ないのに  あたまから
  やっぱり きぬいと たらしてる
       武部利男『白樂天詩集』(六興出版)
 

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   書いてみる          谷川俊太郎
 書かなくてもいいのに
 書いていると落ち着くので
 今日も書いてみようと思った
 散文はあてがなければ書けないが
 詩はあてどなく書き始められる
 きっかけになるのは一語でいい
 今朝短い物語を読んだ
 読後に〈不穏〉を感じた
 日常生活ではあまり使わない漢語
 キーでhuonと打ってみる
 まず〈音〉という漢字が浮かび上がる
 そしてそれを拒む〈不〉
 声にも文字にもならない波動が
 時に意味を尻目にヒトを侵し
 物語の日常を変調する
 不穏を感じた物語の人物たちは
 しばらく私の心に棲むだろう
        「季刊 びーぐる」第40号(2018/07)
 

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 この性格はまた、不思議にわれわれ人間の存在形式に似通って
いるところがある。われわれは個人として独立した人格であるには
相違ないが、その個人としての生を実現しようとする時には、個人
だけでは到底これをまったくし得られるものでなく、必ず他人によっ
て支持せられ援助せられねばならない。すなわち、夫婦なり家族
なり社会なりの一員として生きなければ、個人の生を実現すること
は不可能である。そのために最もよき手段としては、「他を生かす
ことによって自己を救い、自己を充足させることが同時に他を生か
すことになる」という方途によって生きる以外には道がない。而して
この立場に立ってことを行う時に、はじめてその個人に人格的な含み
が付いてくるのである。古人はもちろんかようなことを意識して連句に
たずさわったわけではないであろうし、またかようなことの説かれている
考説もまだ見聞したことはないのであるが、私はここにも、連句形式
にはおもしろい倫理性が見られるものだと感じているのである。
     能勢朝次『連句芸術の性格』(角川選書39)

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      地球の作品  II
   私たち人類は氷山の一角を知るだけでは満足しない。
   私たちは技術の進歩をもって、世界地図を大きく変えている。
   何世紀ものあいだ、私たちは地図を変え神経系統をシミュレート
   しつづけた。
   道を作り、ダムを建設し、地平線を。でも現在、私たちは氷山の下に
   あるものが溶けつつあることを明したいのだ。
   氷山が溶けつつあることを。
   アルプスの雪が溶けつつあることを。
   それは大きな変化をもたらす
   地球の軸そのものに。
   海岸線が消え、
   豊かな野原が海に変わり
   緑の大地が砂漠となるさまを、私たちは見るだろう。
   地球を去りたいと思う人もいるだろう。
   違う星に暮らしたいと。
   でも、パニックに陥ることはない。
   知識はいつでも私たちに解決法を与えてくれる。
     自分の人生の中にある氷山と雪を溶かす。
      オノ・ヨーコ『どんぐり』(河出書房新社)

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