日日の言葉

  殺人事件     萩原朔太郎
 
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃(はり)の衣装をきて、
こひびとの窓からしのびこむ。
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
 
しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣装をきて、
街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
 
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。
             『月に吠える』
 

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日日の言葉

 或る朝、萩原は一帖の原稿用紙をわたしに見せてくれた。
いまから十三四年前に始めてわたしが萩原の詩をよんだ
ときの、その原稿の綴りであつた。わたしは読み終へてから
何か言はうとしたが、それよりもわたしが受けた感銘はかなり
に繊く鋭どかつたので、もう一度黙つて原稿を繰りかへして
読んで見た。そしてやはり頭につうんと来る感銘が深かつた。
いいフィルムを見たときにつうんとくる涙つぽい種類の快さ
であつた。わたしはすぐ自分のむかしの詩を思ひ返して、萩原も
いい詩をかいて永い間世に出さなかつたものだと、無関心で、
無頓着げなかれの性分の中に或る奥床しさをかんじた。かれは
何か絶えずもの珍しいものを秘かにしまつてゐるやうな人がら
である。
                五月二十一日朝
                           犀星生
                          (純情小曲集序文)
 

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日日の言葉

 ところで、子規が他の俳諧宗匠と異質の「俳句」観を示し得たのは、
帝国大学を頂点とする近代教育で西洋諸学問に接した体験が大きかった
といえます。碧梧桐句を評した「印象明瞭」にしても、当時は「印象
(impression)」という言葉自体が西洋心理学や美学の学術専門語で、
日常でまず使用されない新奇な表現でした。子規以前にも、発句の
余情を「気韻生動」(中国画の理想で、気品や情趣が感じられること)
と画論を例に説いた俳諧宗匠は存在しましたが、西欧渡来の「油画」
「印象」等をちりばめつつ「写生」作品を論じた俳句論は史上初といえ
ます。子規は帝大時代に最先端の精神物理学(現在の心理学)等を
受講し、人間の五感で最も複雑なのは視覚で、目で確認しうる事物が
多くの「印象」を惹起するといった西洋科学を学んでおり、ゆえに
「印象明瞭」であることが「俳句」として価値が高い、と断言しえたのです。
 
     青木亮人「俳句の変革者たち」(NHK出版)
 

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日日の言葉

 或人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの
地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く
見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」
とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
 尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙に、やんごとなき
人にておはしけり。
         『徒然草  第百九十五段』(岩波文庫 ワイド版)
 

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日日の言葉

 ともあれ、漢字を見つめているのはつくづく面白いと芹沢は思った。
魔力、神力とまでは言わないにしても、何か超自然的な力をーーー
単なる伝達の具の実用性を超えた何やら名状しがたい威力を帯びた、
こういう不思議な記号を発明した民族は、やはり大したものだ。しかし
その一方で芹沢は、浦東(プートン)の木賃宿で見つけた古い日本の
新聞をふと開いて、漢字と平仮名の混淆の字面が目に飛びこんできた
瞬間に感じた、言いようのない懐かしさと心の震えを忘れることができ
なかった。漢字は、強いな、と彼は感嘆した。この強さがおれを魅了する、
としみじみ思う。漢字は剛直で堅固で、密度が高い。滅多なことでは
揺るがない、壊れない、磨り減らない。自己主張が強く、梃子でも動かな
い頑固さがある。
      それに比べると、日本人が創り出した仮名は、はかなくてもろい。円やかで
優しくてうそうそとしていて、形も音も美しいがあまりにやわで、押せばすぐ
歪む、曲がる、へこむ。放っておけば、風に吹かれただけでたちまち掠れ、
滲み、消えていってしまう。仮名は、弱い。台風や地震ですぐ潰れ、火事に
遭えばすぐ燃えてしまう、木と紙で出来た日本の家のように弱い。それはお
れ自身の中にも根深く居座った弱さなのだ、と芹沢は思った。漢字ばかりの
本の世界に沈没しながら、一字一字金属板に彫り込んだようなその硬さ、
強さに感服しながら、芹沢は頭の片隅で仮名の柔らかさ、弱さをしきりに
懐かしんでいた。その弱さが恋しかった。虫の良すぎる考えだとは思いながら
も、おれ自身の中にも潜むその弱さを誰かが、あるいは何かがそっと慰撫し
てくれないものか、と激しく願っている自分に気づいてたじろいだ。
 
         松浦寿輝『名誉と恍惚』(新潮社)
 
 

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日日の言葉

 国際結婚という言葉がある。国際結婚と聞けば、異なる文化や言語を背
負った者同士が一緒になるのだから、様々な文化摩擦があるだろうな、と容
易に想像がつく。しかし同国内でも国際結婚に匹敵するような文化摩擦が引
き起こされる場合がある。それは例えば海の民と山の民、北の民と南の民と
いうように、気候や生活環境、職業や経済環境がまったく異なる場合。
 漁師と農民というのも、異文化の最たる組み合わせの一つといえるだろう。
 幼いながら、わが家に相反する文化が入り乱れていることを、言語化はで
きずともうすうす感じていた。外向と内向。大胆と臆病。楽観と悲観。おお
らかさとせせこましさ。享楽と勤勉。ホラ吹きと謙遜。率直と遠慮。反抗と
従順。浪費と貯蓄。傲慢と謙虚。放浪と定住。挑戦性と保守性。解放と閉鎖。
豪放と質素・・・・・・。
 と、ここまで羅列してみて、まるで自分の二面性を言い当てられているよ
うで愕然とする。
 
       星野博美『コンニャク屋漂流記』(文藝春秋)
 

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日日の言葉

 漱石の小説は、滑稽な小説でなくても、又、「道草」のような
暗い小説の中にでも、時々、おかしいところがある。今も書いた
門野だが、門野が湯上りの顔を電灯の光に照らして出て来た。
と書いてあるが、何でもないことであるが一寸、笑いたくなるのだ。
真面目な、しかも暗い小説の中ででもこんな風だから、身辺小説
ではおかしいところは枚挙にいとまなしである。なんだかの小説で
漱石の家に、或正月の二日に虚子が来て何かは忘れたが謡を
漱石にうたえといい、虚子が鼓の相の手を入れる。漱石はあまり
巧くないところへ、時々、虚子が力の入った掛け声をして鼓を打つ
ので、その度にうたの方はよろけて、情ない謡になってしまう。漱石
はすっかり悲観しているところに、虚子を玄関に送った細君が戻って
来て盛に虚子を褒める。「虚子さんの鼓、お上手ですねえ。あの鼓を
お打ちになる度に袖口から長襦袢が出るところもよかった」と、感想を
のべる。すると漱石は腹の中で、「虚子の鼓もうまくはなかった。袖口
から長襦袢が出るところもちっともよくなかった」と、呟くのである。
      早川茉莉編『森茉莉 幸福はただ私の部屋の中だけに』
      (ちくま文庫)
 

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日日の言葉

 日本語の隣接語であるアイヌ語は、非常に古い太平洋
諸語とかかわり深いらしいと言える程度にしか分からず、
古日本語もまたその基層において幾万年という遠い起源
から来ていると思われる。ということは、まったく別の言語
系であるにもかかわらず、両者の共存ないし抗争関係も
また気が遠くなるほど遙かからであるはずだ。有史以後、
その共存/交争関係を『日本書紀』を始めとする諸文献から
しっかりと受け取ることができる。言語史は何よりもまずここ
から記述が開始されるべきだろう。その共存/抗争史の過程
で、政治的優位と劣位と、軍事的征服と敗北とが生じ、ひいては
後代になって、つよくなってくる差別的感情など、源流史、とりわけ
文学は敗者や深層にせまるために、文学源流史の課題になるのだ。
 
       藤井貞和『日本文学源流史』(青土社)
 
 

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日日の言葉

 午後のお茶もまだ終わらないうちにそろそろ日も暮れ
かかるころ、まだ明るい空の遠くの方に小さな褐色の
斑点の見えることがあって、それは青い夕方に飛びかう
羽虫か小鳥たちともとられかねないものだった。そんな
ふうに、はるか彼方に山を望むとき、人はそれを雲だと
思いこむことがある。だがその雲が巨大で、頑丈で、
びくともしないものであることを知ると、人は感動を覚える
ものだ。同じように、夏の空に浮かぶ褐色の斑点が羽虫
でも小鳥でもなくて、何人かの者が乗りこんでパリを哨戒
している飛行機だったということは、私を感動させた。
 
       マルセル・プルースト 鈴木道彦訳
      『失われた時を求めて 12』(集英社文庫)
 
 

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日日の言葉

 ミスタ・レオポルド・ブルームは好んで獣や鳥の内臓を食べる。
好物はこってりしたもつのスープ、こくのある砂囊、詰めものをして
焼いた心臓、パン粉をまぶしていためた薄切りの肝臓、生鱈子の
ソテー。なかでも大好物は羊の腎臓のグリルで、ほのかな尿の
匂いが彼の味覚を微妙に刺激してくれる。
 その腎臓のことを考えながら彼は台所でそっと動きまわり、
でこぼこしている盆に彼女の朝食を並べていた。冷たい光と空気が
台所にみちているけれども戸外はどこまでもなごやかな夏の光だ。
おかげでだいぶ腹もへったような気がする。
 
          ジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』(集英社文庫)
 
 

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