山猫図書館

 最初の頃は、リヴベルに着いたときでも太陽は沈んだばかりで
まだ明るかった。明かりがまだ灯されていないレストランの庭では
、昼間の暑さが衰え、まるでそこが花瓶の底ででもあるかのように
沈澱していたが、その花瓶の内側に沿って透明で暗い大気の層が
ゼリー状になってしっかりとまとわりついているかのごとく感じられた
せいか、すでに翳った塀に寄り沿ってそこに薔薇色の縞模様を浮き
上がらせている一本の大きな薔薇の木は、縞瑪瑙の底に見える樹
枝模様を連想させた。それからいくらも経ないうちに、私たちが馬車
から降りるときにはもう夜になっていたし、天気が悪ければ風雨が
弱まるのを待って馬車の支度を遅らせたりしたので、バルベックを
発つときにはすでに日が沈んでいることもしばしばだった。
 プルースト『失われた時を求めて「第二篇・花咲く乙女たちのかげに」』
 (高遠弘美訳・光文社古典新訳文庫)
 

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  粒立ちガラスのドア・パネルには、「フィリップ・マーロウ探偵調査」と
黒い字で書かれている。字は剥げかけている。そこそこうらぶれた廊下の
突き当たりの、そこそこうらぶれたドア。総タイル張りの洗面所が文明の
基盤とされるようになった時代には、その建物もぴかぴかの新築だったの
だろうが。ドアは施錠されている。しかしそのひとつ隣りの、同じ名前が
掲げられたドアには鍵がかかっていない。誰でもご自由にお入り下さい
ー私と肥ったアオバエしかここにはおりませんが、というわけだ。ただし、
カンザス州マンハッタンからお越しの方はその限りにあらず。
   レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『リトル・シスター』(早川書房)
 

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   ひとが しんだと きいて
      とおくの ともに
 
 きのう きいた ヨウさん しんだ
 けさも きく オツくん しんだ
 しりあいの さんにんの うち
 ふたりまで あのよへ いった
 
 ゆく ひとは にどと あえない
 かなしいな とわに おしまい
 のこる ひと いま どこに いる
 みな とおく ばんりの かなた
 
 きごころの しれた ともだち
 ゆびを おり かぞえてみれば
 ツウしゅうと カしゅうと レイしゅう
 ホウしゅうと わずかに よにん
 
 おたがいに としばかり とり
 ひとのよは ゆく みずの ごと
 つぎつぎに ふるい なかまを
 うしなって ためいきを つく
 
 いつの ひか さかずきを あげ
 にっこりと みつめあうのは
 
     武部利男『白楽天詩集』(六興出版)
 
 

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  コウロホウの てっぺんに のぼる
はるかなる コウロの みねを
あこがれて ゆめに みながら
いちねんじゅう しごとに おわれ
きょうに なり やっと でかける
 
つたを よじ いわを ふみわけ
ても あしも くたくたに なる
さん よにん いっしょだったが
うち ふたり うえまで ゆけず
 
てっぺんに ついた ときには
めは くらみ むねは どきどき
その たかさ いちまんひろで
その ひろさ すうじょうも ない
とおくまで みきわめないと
わかるまい うちゅうの ひろさ
おおかわも なわより ほそく
ボンの まち てのひらの うえ
 
あくせくと はたらく わたし
たちきれぬ うきよの きずな
かえろうと ためいき ついて
すごすごと くぐる ありづか
 
          武部利男『白樂天詩集』(六興出版)
 
 

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       しらさぎ         
  このよに うまれて よんじゅうねん
  まだ おとろえる としじゃない
  わたしは なやみが おおいので
  めっきり しらがが ふえてきた
  どういうわけか みずぎわの
  つがいの しろい さぎたちは
  なやみも ないのに  あたまから
  やっぱり きぬいと たらしてる
       武部利男『白樂天詩集』(六興出版)
 

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   書いてみる          谷川俊太郎
 書かなくてもいいのに
 書いていると落ち着くので
 今日も書いてみようと思った
 散文はあてがなければ書けないが
 詩はあてどなく書き始められる
 きっかけになるのは一語でいい
 今朝短い物語を読んだ
 読後に〈不穏〉を感じた
 日常生活ではあまり使わない漢語
 キーでhuonと打ってみる
 まず〈音〉という漢字が浮かび上がる
 そしてそれを拒む〈不〉
 声にも文字にもならない波動が
 時に意味を尻目にヒトを侵し
 物語の日常を変調する
 不穏を感じた物語の人物たちは
 しばらく私の心に棲むだろう
        「季刊 びーぐる」第40号(2018/07)
 

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 この性格はまた、不思議にわれわれ人間の存在形式に似通って
いるところがある。われわれは個人として独立した人格であるには
相違ないが、その個人としての生を実現しようとする時には、個人
だけでは到底これをまったくし得られるものでなく、必ず他人によっ
て支持せられ援助せられねばならない。すなわち、夫婦なり家族
なり社会なりの一員として生きなければ、個人の生を実現すること
は不可能である。そのために最もよき手段としては、「他を生かす
ことによって自己を救い、自己を充足させることが同時に他を生か
すことになる」という方途によって生きる以外には道がない。而して
この立場に立ってことを行う時に、はじめてその個人に人格的な含み
が付いてくるのである。古人はもちろんかようなことを意識して連句に
たずさわったわけではないであろうし、またかようなことの説かれている
考説もまだ見聞したことはないのであるが、私はここにも、連句形式
にはおもしろい倫理性が見られるものだと感じているのである。
     能勢朝次『連句芸術の性格』(角川選書39)

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      地球の作品  II
   私たち人類は氷山の一角を知るだけでは満足しない。
   私たちは技術の進歩をもって、世界地図を大きく変えている。
   何世紀ものあいだ、私たちは地図を変え神経系統をシミュレート
   しつづけた。
   道を作り、ダムを建設し、地平線を。でも現在、私たちは氷山の下に
   あるものが溶けつつあることを明したいのだ。
   氷山が溶けつつあることを。
   アルプスの雪が溶けつつあることを。
   それは大きな変化をもたらす
   地球の軸そのものに。
   海岸線が消え、
   豊かな野原が海に変わり
   緑の大地が砂漠となるさまを、私たちは見るだろう。
   地球を去りたいと思う人もいるだろう。
   違う星に暮らしたいと。
   でも、パニックに陥ることはない。
   知識はいつでも私たちに解決法を与えてくれる。
     自分の人生の中にある氷山と雪を溶かす。
      オノ・ヨーコ『どんぐり』(河出書房新社)

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 東京芸大の美術解剖学研究室にいたこ
ろ、毎週水曜は人物デッサンの日だった。
解剖学なので、モデルさんの隣には骨格
標本と筋肉模型も並ぶ。同じ研究室の仲間
たちは、難関の実技入試を突破してきただけ
あって、さすがに「上手い」。最初は少し気後れ
してしまったが、鉛筆を動かすと夢中になった。
朝から数枚のクロッキーとデッサンを終えて、
お昼に外に出ると、いつも不思議と目がよくな
ったような気がした。ふだんよりも緑が鮮やかに
きらめき、葉の一枚いちまいもはっきり見える。
世界は光と影で構成されているんだなあ、などと
感慨にふけったりもした。
 写実的に描くことは、見る力を磨くことなのだ。
学部のときに生物学の実習でスケッチをしたときも、
似たようなことを感じた。記録をとるためだけなら、
写真の方が手っ取り早い。でも時間をかけてスケッチ
をすることで、はじめて構造が見えてきたりする。
 デッサンやスケッチは、概念の枠組みをいったん
はずして、世界をありのままとらえる訓練になる。だから
多くの画家が、一度写実的な表現を究めてから、独創的
な表現を見いだしていくのだろう。
   「上手い、おもしろい  齋藤亜矢(図書/6月号/2018)」
 

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    連がら善悪ある事
 歌はただ同じ詞なれど、続けがら、言ひがらにて善くも悪しくも聞
ゆるなり。かの友則が歌に、「友まどはせる千鳥鳴くなり」といへる、
優に聞こゆるを、同じ古今の恋歌のなかに、「恋しきにわびて魂まどひ
なば」ともいひ、又「身のまどふだに知られざるらん」などいへるは、
ただ同じ詞なれど、おびただしく聞こゆるは、みな続けがらなり。され
ば、古歌に確かにしかじかありなど証を出す事は、やうによるべし。
その歌にとりて善悪あるべき故なり。曽禰好忠が歌に、
   播磨なる飾磨に染むるあながちに人を恋しと思ふころかな
「あながちに」といふ詞は、うちまかせて歌によむべしとも覚えぬこ
とぞかし。しかあれど、「飾磨に染むる」と続きて、わざとも艶にや
さしく聞ゆるなり。古今歌(に)、
   春霞立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪は降りつつ
此はいとめでたき歌なり。なかにも「立てるやいづこ」といへる詞、
すぐれて優なるを、ある人の社頭の菊といふ題をよみ侍りしに、
   神垣に立てるや菊の枝たわみ誰が手向けたる花の白木綿
同じく「立てるや」とよみたれど、これは、わざとも詞もきかず手づ
つげに侍り。
       鴨 長明   『無名抄』
 
 

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