日日の言葉

 
   少しでも触れたら、
   「愛して」って声が漏れだしてしまうような人はいて、
   そういう人が本当にこわい。
   ぼくは風じゃないし、きみは、カーテンじゃない。
   夏が終わり、来るのは秋ではない。
 
   やさしいひとが、
   間違って人を傷つけてしまったその瞬間を見ると安心する。
   たてがみがゆれてこそばくて仕方がなくて、
   走るのをやめられない馬みたいに、
   ぼくもただ美しく、走り抜けていたかった。
 
    ピンホールカメラの詩
 
    最果タヒ『愛の縫い目はここ』(リトルモア)
 

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日日の言葉

     それぞれの20首    永井 祐
  ショッピングモールは夕方になっていて焼いた魚とご飯を食べる
  喫煙は深呼吸であり僕向けのドラッグ 休みの日に外で吸う
  優先席に座ったことの言い訳がゆっくり届く 話してるとき
  月曜の1時桜がさいている ビニール袋の持ち手のところ
  大事そうにアイスをつつく 一晩で字幕はたくさん流れていった
  県境またいで仕事していると背の低い駅・背の高い駅
  ドアノブを見上げて眠っていたころにありがとう、と君に思った
  図書館の地下一階に降りていきそこから人にメールを送る
  五月になって昼には二杯水を飲む 夜になると固いTシャツを着る
  友達の生まれた日づけを祝おうとわたしはもやしをたくさん食べる
  蚊帳のなかで寝苦しそうなお母さん 窓よごれてる ベランダきれい
  アイスサンドというアイデアの出所を不思議に思う人思わない人
  電車の中で眠るといつも夢をみる 二分くらいの充実した夢
  8月の午後5時の青さの中でclosedの看板さがってる
  去り方が家族が入院してる人みたいだなって思った昨日
  この曲を聴きながらときどき頭をかいたりしながら道路沿いに歩いてみてほしい
  どんなことでも一通りできるようになってから貯金をはじめたい
  コーヒーの匂いがしてるゴミ箱におりたたんで領収書を捨てる
  馬に乗るようなかたちで寝ているね こまかい草を思い浮かべる
  坂に置かれたオレンジのピンポン玉として残りの八月をくだってく
        「短歌研究 2017/10月号」
 

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日日の言葉

      素焼きの皿       野田かおり
 
  ポケットの鍵さぐりつつ進みゆく南校舎に雲を見上げて
 
  誰かまだ居るかもしれず教室の闇をしばらく眺めてをりぬ
 
  木綿豆腐をみづに離せばいきもののやうに沈めり寒き夕べに
 
  抜き取りて匙はさびしきかたちなり崩れぬものが塩壺にあり
 
  あやふやな歩みの父を待ちをれば曲がり角には秋桜あふれ
 
  家族とはもの喰ふひとの集まりと素焼きの皿にのせる秋刀魚を
 
  秋の陽ざしをみづは流れてゆつくりと湯よりあがりし母のふくらはぎ
 
  指先がむらさきしきぶの実に触れてゆびの先から記憶となりぬ
 
  夜の瞼を預けてみむとあたためて飲む牛乳のあかるさのなか
 
  遠くから祭りの音が寄りてきてやがて男のこゑへと変はる
 
               「短歌往来 2017/12」
 
 

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日日の言葉

     玄人と素人
 
 文章を作ることをもって特に玄人の手に限るとした時代は既に過ぎたが、今でも
やはり玄人と素人の別はある。いうまでもなく、多くの修業を積んだ人は玄人で、
特別の修業をせぬ人は素人である。しかし私は断言する。玄人が必ずしも名文を書
くわけではなく、素人に必ずしも名文が書けぬわけではない。
 玄人はもちろん整頓した文章を書く。また多量の文章を比較的容易に書く。その点
は素人の及び難きところである。しかし玄人の文章にはとかくうそがある、ごまかし
がある、こしらえごとがある。一応立派に出来ているようでも、熟読してよくよ
く嚙みしめてみると、何の味もないという場合が随分多い。嫌な味の出てくる場合
も随分多い。要するに玄人の文章は、月並み、お座なり、間に合せになりやすいも
のである。殊に悪ずれのした玄人と、きざな半玄人とに至っては、誠にもって沙汰
の限りである。
 そこで素人の作文者はまず決して玄人に怖じてはならぬ。玄人はこの道の修業を
積んでいるには相違ないが、実は文章の商売人である。職業的作文者である。そし
て、大抵は多年の間、同じようなことを繰り返して、誠実の心も無くなり、真率の
気も消え失せて、立派に堕落している人たちである。
 もっとも、玄人のうちで、文章の商売人でなく、職業的作文者でない、少数の人
人がある。その人々は多年の修業を積むと同時に、常に誠実を養い、真率を保ち、
心の底、胸の奥から、言わんと欲するところを言い、言わざるべからざるところを
言っているのである。故にその人々の文章だけは、必ず我々の胸に響き、腹にこた
えるが、月並みの玄人の文章には決してそんな力がない。月並みの玄人の整頓した
文章よりも、正直な素人の疵の多い文章の方が、はるかに味もあり、力もあり、光
もある。
 故に私は切に素人の作文者の自重を望む。一般玄人に怖じてはいけない。素人た
るが故にへこんではいけない。素人でたくさんである。否、素人が貴いのである。
私のこの本はもとより玄人に見せるためではない。また月並み玄人の志願者に見せる
ためでもない。私はただ素人作文者たることを誇りとする人々のために、多少修業
の心得を説くだけのことである。
 
          堺 利彦『文章速達法』(講談社学術文庫)
 
 
 

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日日の言葉

         美しい断崖
 「どこにいても美しい断崖は見える」
 フランスの哲学者は
 そのプロポで語っているが
 ぼくには
 断崖そのものも見えない
 水平線や地平線
 
 ネパールの草原で月は東に陽は西に
 その平安にみちた光景には
 心を奪われたくせに
 「美しい断崖」にはなってくれない
 きっとぼくの眼は
 肉眼になっていないのだ
 ただ視力だけで七十年以上も地上を歩いてきたのにちがいない
 まず熱性の秘密を探ること
 腐敗性物質という肉体のおだやかな解体を知ること
 
 愛が生れるのはその瞬間である
 視力だけで生きる者には愛を経験することはできない
 生物は「物」である
 生物の本能もまた「物」である
 だが
 視力が肉眼と化したとき
 物は心に生れ変る たとえ
 地の果てまで旅したとしても
 視力だけでは「物」しか見えない
 
 肉眼によって
 物と心が核融合する一瞬
 一千万 百億の生物が瞬時に消滅したとしても
 この世には消えないものがある
 
     田村隆一『1999』(集英社)
 
 

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日日の言葉

      ラーメン      染野太郎
 
  西新の<海豚や>といふラーメン屋あれば入りたり引き戸かろかり
  福岡に引つ越した日のラーメンの旨さを超えるラーメンがない
  人に席をゆづることありゆづるといふ思ひにぼくを殴らせながら
  布巾かけて五指にもち上げうらがへす土鍋の蓋が君みたいに面倒
  嫌ひといふあの感じさへ失くしたと気づきぬ君ともの食べてゐて
 
 
                「霜月作品集(うた新聞 11月号)」(いりの舎)
 
 
 
 

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日日の言葉

   夜のミッキー・マウス
 
 夜のミッキー・マウスは
 昼間より難解だ
 むしろおずおずとトーストをかじり
 地下の水路を散策する
 
 けれどいつの日か
 彼もこの世の見せる
 陽気なほほえみから逃れて
 真実の鼠に戻るだろう
 
 それが苦しいことか
 喜ばしいことか
 知るすべはない
 彼はしぶしぶ出発する
 
 
 理想のエダムチーズの幻影に惑わされ
 四丁目から南大通りへ
 やがてはホーチミン市の路上へと
 子孫をふりまきながら歩いて行き
 
 ついには不死のイメージを獲得する
 その原型はすでに
 古今東西の猫の網膜に
 3Dで圧縮記録されていたのだが
 
 
       谷川俊太郎『夜のミッキー・マウス』(新潮社)
 
 
 
 

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日日の言葉

   ALL IN LOVE IS FAIR                  
All is fair in love
Love's a crazy game
Two people vow to stay
In love as  one they say
But all is changed with  time
The future none can  see
The road you leave behind
Ahead lies mystery
But all is fair in love
I had to go away
A writer takes his pen
To write the word again
That  all in love is fair
 
All of fate's chance
It's either good or bad
I tossed my coin to say
In love with me you'd stay
But all in war is so cold
You either win or lose
When all is put away
The losing side I'll play
But all is fair in love
I should have never left your side
A writer takes his pen
To writes the words again
That all is fair in love
 
                 Stevie Wander  「Innervisions」
 
 
 
 

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日日の言葉

 いまさらというもの言いながら、平安四百年を省みるならば、
最初の約百年、日本語で書かれた書物が一冊もない。喪われ
たのではなく、産み出されていない。これは一時代を俯瞰する
に際し、異様な眺めではないか。ひらがなが発達しつつある時
であるはずなのに、ふしぎだ。一王朝の最初の四分の一が、現
地語の、と言うか、〝民族語で〟書かれた書物を一冊も一巻も
産出していないとは、どういうことだろうか。
 九世紀の終りになって、満を持したかのように、十分に発達
した、かな表記の文化を背景にして、『古今集』編纂の機運が
出てくる前後を目安とし、中将後息所歌合から亭子院歌合
(延喜十三年〈九一三〉)の新作辺りまで、何だか急速に動き
出した感がある。『新撰万葉集』の編集、寛平御時后宮歌合
(后宮は班子女王でなく、温子ではないか)などの歌合、『句
題和歌』(大江千里集)が連動していよう。遍昭などの著名な
歌人たちの「家集」を作るという促しも、この動きから出てこよう。
編者たちの「家集」の制作が命ぜられ、集められる。そのいきおい
のなかから、『竹取物語』などの書かれる物語類の生産態勢、
『伊勢物語』類の編纂が、と動き出す。和歌含みで、物語文化が
急転直下だ。そのまた百年後に『源氏物語』『枕草子』そして
『栄花物語』を産み出すまでに、平安文学は以後、のぼり詰め
ゆく。
      藤井貞和『日本文学源流史』(青土社)
 

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日日の言葉

     夢
「そろそろぼくのかみさんを返してください」
黒眼鏡の男に言われた夫が
驚いて雑誌を広げていたわたしの顔を見る
「そうなの」
わたしがうなずくので
立ち上がらねばならない
膝がうずく
いつものように青い頭陀袋一つもって
欅の寺の石段を下り 未練たらしく振り返りながら
妻だった女から去ってゆく
という夢を見たそうだが
そうだよね まだお互い半信半疑
こっちが遠い夢かもしれない
 
               高橋順子『時の雨』(青土社)
 
 

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